本は、馬鹿買い、選択買い、気分買い、とりあえず買っとくかい? 2012/3

 大学以降、持ち金が増えて馬鹿みたいにどっさり本を買うようになった。が、大学生には大して余裕はないので、すぐに安い古典名著系ばかり選んで買うようになる。そのうちそれでは飽き足らずに、そのとき気になるものを古本・新刊を問わず気分で買うことにする。そしていつのまにか、外に出れば自然に本屋へ足が向き、欲しくもない本をとりあえず大量に買い込み、壁本ばかりの本棚を持つ自分が厭になってくる。いくら購買欲を抑えて厳選しても、今後も読まないだろう本は全体の何割にも及ぶ。どうしよう。自分は本を捨てたり売ったりできない性分なのだ。しかし、今後も本は増え続けるにちがいない。


 本好きの本買いはだいたい、こんな感じじゃないか。僕だけだろうか。本買いの本棚には数千〜数万冊、由良君良の書豚・書狼・書痴のどれに入るにしても、どうしようもなくアホな人たちである。そして自分も、あと数年で五桁のアホになるだろう。高橋源一郎は専用の倉庫をもってるほどらしいだから、文学王でも平凡王でもなくアホの王様かもしれない。反対に、内田樹は所持数が極端に少ないらしいけど、なるとすれば何王になるのだろう。リコウ…は無理がありますね。


 そうそう、僕はこんなことを言いたかったわけじゃないんです。じつは、どんなに本をたくさん読んでも買っても、自分のテリトリーから出られないことが私を悲しませるのです。それはわたしが自分の読み方に縛られているからでしょうか。そうかもしれません。しかしたとえば、一度縫い合わせたこのちいさなマフラーの編み物は、いまさらセーターや手袋には変えられません。

中途