最近のニーチェ  2012/9

 最近は哲学科の学生もニーチェを読まないと聞いた。一昔前なら文学部学生の一般的読書対象の一人だったというのはわたしの思い込みだったのかしらん。哲学科に入るのは、未だ人気の心理学科に入れなかった落ちこぼればかりだとか。

 『超訳ニーチェ』のような人生論的読み方はべつにいいけど、ニーチェはいまじゃマジメに読むに値しないのだろうか。私が大学にいた数年前には、すでに文学青年は絶滅危惧種だったけれど、ニーチェとともに元気になる若者がもし減っているなら、それはなぜだろう。




 クレヨンしんちゃんの映画『オトナ帝国〜』で、オトナの登場人物が「俺には(現代の)空気・世界が臭くてたまらない」といっていた気がする。わたしの個人的感覚でも、90年代とそれ以降では何かが違う気がする。もちろん、クレヨンしんちゃんのセリフは昭和を知る世代によるものなのでわたしの前提とは違うかもしれない(しかも映画は2001年公開だ)けど、現代に対する違和感としては同じだ。

 意外にも引っ張ると、『オトナ帝国〜』以後のクレヨンしんちゃんは次第に従来の(大人)社会批判的トーンが落ちる。具体的には、『野生王国』にでてくる環境保護団体に対する反応だ。温暖化がアホみたいに叫ばれていた当時?、(それらの団体や活動を)コミカルに揶揄したり、純粋に疑問をぶつけるいつものクレヨンしんちゃんは描かれていない。説明は省くけど、主人公の両親(=大人)は、自身の欲望(暑いから冷房をつけたい)と社会の言説(温暖化対策しよう)のうちであいまいな態度をとる。

 クレヨンしんちゃんの変化と同じように、(またもや感覚的だけど)お笑い芸人の政治的ネタの消失がある。政治家をネタにした笑いが、たけしや爆笑問題のニュースバラエティとは質が異なるのはいうまでもない。


中途